ここ1年ほど好きで更新を楽しみにしていたネットの漫画があるが、最近その作品を読むのがちょっとしんどくなってきた。ペット系の漫画で、もう死んでしまった子への思い、今の子への愛情やペットあるあるな日常のドタバタなどが可愛らしく描かれていて、自分にもペットがいるし、かつて飼っていた子もいるのでとても共感を感じていたのだが。

その漫画の大きな元になっているのは、かつで死んでしまった子への情愛。現在の子の話の中にも時折前の子への思いも挟まれたりして作者の方の深い愛情が感じられ、ペットってやっぱりいいなと思う節もたくさんあるのだが、最近、以前死んだ別の子の話がまた描かれていて、それがどうも話の進み方がしっくり来ない、と批判しているわけでは無く単純な感想。

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日常で【死】にフォーカスが当たっていると思考や興味が全てそっちへ行く。虹の橋を渡るペット、辛い事故、病魔との戦い、戦争、自殺、殺人。哀しいことを目にして哀しみを感じるのではなく、悲しいことを探しに行ってわざわざ悲しむ。"わざわざ"探しているつもりはなくても、そういう物事にばかり目が行く。苦しいことと闘う人に、その人が与えようともしていない勇気を勝手にもらって涙ぐんでみたり。

かつて長い間自分もそうだった。何か辛いことを見ては共感を感じ、自分を納得させる材料を探して、やっぱりそうよね、哀しいよね、そう思うよね。

もちろん死生観というのは自分の根底にあり、震災しかり、かつて死んだペットしかり、比較的早く亡くなった親戚たちしかり、いつ死ぬかわからないからいつ死んでもいいように生きようとも思って来たし厳密に言えば今でもそうだ。が、今は【生】の方にフォーカスが当たっている感じがしている。いつ死ぬか分からないから、というより、単純になう。Twitter的な。

辛い記憶は自分で再生しなければただの過去の一片に過ぎず、結局はわざわざ自分で再生ボタンを押して自分でもう一度見ている。そんな簡単に辛い記憶からは逃れられないとかなんとか言いながら。記憶のシステムというのは非情で、記憶と経験があるから今の自分があるのだが、辛い記憶を再生させないようにするのも自分にしか出来ない。忘れたくても忘れられない過去は、忘れたくても忘れたくない過去。

横浜に引っ越す、と決めたあたりから、割といろんなことがどうでもよくなってきて、それと同時に過去再生ボタンを都合よくどこかにしまえるようになってきた。今でも簡単に押せる。しまえるようになった、というよりは、押さなくなったというか、押す必要がなくなったというか。

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その漫画の最後がどうなるのか、しんどいながらも楽しみなのは、なんとなくその作者の方が、それまで死に当たっていたフォーカスが、生にシフトしている途中なのではないかと思うから。あくまで勝手な、1読者の感想。

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香雪が最近、自分の感情にとても素直になってきてかわいい。甘えたい時に甘え、1人で家中の狭いところを探しては掘るマネをして遊んでいます。写真は今朝。足元から布団に潜り込んできたと思ったらこれ。萌え死ぬやん。